溝を埋めるには

言葉足らずで語弊がありそうなので昨日の日記に少し補足。
以前書いたように、人と人との間の溝は決して埋まるものではないですが、その溝の幅を限りなくゼロに近づけていくことは決して不可能なことではないと思います。
誰かと議論している時など、共通の理解が得たい時は溝を埋めていくわけです。で、最終的に飛び越えられるくらいまでの幅になれば溝を飛び越えてしまえば共通の理解が得られるわけですが、飛び越えられないくらいの幅までしか溝が埋まらない時はどうすればいいのか。
そこで溝を飛び越える橋になるのが、いわゆるコモンセンスであったり宗教観であったりすると思います。人それぞれスタンスが違えど、価値観であったり倫理観であったり、生活していく上での基盤が同じものであれば、それ自身が共通の理解を得るための手助けの一つになるはずです。
信仰の対象としてではなく生活の基盤としての宗教、というのはそういう意味です。目的でなく手段ということです。