内外に対する興味

大学受験小論文の指導をしているのですが、その中で感じていることを何点か。
小論文指導なので、当然採点される際に好まれる「書き方」を指導するわけです。基本は、「書き方」の講義→書く→添削・解説→書く→添削・解説、の繰り返しでやっていきます。で、自ら気付ける点が多くなるので、まず「書き方」の講義の前にあるテーマについて「まず何でもいいから書いてみろ」と指示して書かせてから講義に入ります。そこで「何でもいい」と言っているのに何も書けない生徒がかなり多い。
また、添削を繰り返すうちに形のいい小論文らしい小論文はだいたい書けるようになるのですが、一番大事な「結論」部分が中身のない一般論に終始している場合が非常に多い。小論文はいくら小さかろうと論文であることには変わりがないので、なにか主張することがらがあって始めて成り立つものです。なので、書き方の基本は主張したいことがらをわかりやすく例を挙げながら述べていく、という「結論ありき」である、といつも強調するのですが、どうもあまり伝わらずにそれらしい形が先行した「書き方」になってしまうことが多いです。
なんでそういうことが往々にして起こるのかというと、「あるテーマについての知識とそれに対する意見ないし感想」というものが足りていないということに尽きると思います。言い換えれば「知る必要がないし自分が考えてもしょうがない」と考えている生徒が多いということです。全ての生徒がそうだとは当然思いませんし、少ない経験で感じたことなのでそれを全体に広げるのは乱暴であると思いますが、今の傾向としてそうであると考えざるを得ないくらいに自分の頭で考えることをしようとしない子どもが増えています。


この問題のねっこにあるのが、短絡的に「ゆとり教育」のせいだなどとは言いませんが、子どもにあらゆることに「興味」を持たせるような教育がなされてないということだと思います。社会で何が起こっているのだろうという興味、自分の住んでるところはどういうところなのかという興味、普段食べているものに対する興味。人に対する興味であったり、そもそも自分ってなんなんだ!?という興味であったり。大学入試の小論文指導をしていて痛感した、形先行で本質的なところがあまり重要視されていないような入試の体制にも責任の一端があるかもしれません。
とにかく、今の教育に必要なものは、抽象的な書き方しかできませんが、あらゆることに対する「興味」を持たせること、ということであると思います。


ちなみに、以前自分の住んでる都道府県が日本地図上でどこにあってどういう形をしてるのか全く知らないという中学生がいました。話をしていたら旅行していても今自分がどこにいるのかということに全く関心がなく、ひたすら携帯ゲーム機で遊んでいるだけだとのことでした。相当成績はいいんですが・・・。教育に関する問題を学力云々だけで語ってるとこういうことになります。