黒ひゲイ危機一発について

昨日のエントリー(12月24日)でなぜ「これってなんて人権屋?」という結論に行き着いたかのプロセスの部分を書いときます。

抗議文で

問 題 点
(1)同性愛者およびそれを連想させる人物を樽に入れ、剣で突き刺して「楽 しむ」という玩具の発売は、同性愛者に対する差別である。

(2)玩具で遊ぶ子どもたちに、同性愛者は差別して良いのだ、という意識を植え込む恐れのある玩具である。

とあります。
(1)については同意です。僕は全くそのようには感じませんでしたが、感じ方には個人差があると思いますし、そのように感じることもあるだろうなとは思います。
(2)についても同意です。仮に同性愛者を剣で突き刺して楽しむ玩具があるとして、そのような玩具が子どもたちの間に蔓延するというのは非常に問題であると思います。
しかし、いくら考えてもこの(1)と(2)の因果関係が不明です。(1)と(2)のそれぞれについては同意できるのですが、因果関係が不明確である2つの意見を並べているところに非常に疑問を感じます。因果関係が不明確な2つの事象を並べてあたかもそれが関係あるかのように思わせる手法というのは、詐欺師がよく用いる非常に悪質な手法です。
よって、僕はこの「セクシャルマイノリティ教職員ネットワーク」なる団体は、詐欺師のよく用いる手法を使って人権の名の下に一企業の経済活動を不当に抑制しようとする「人権屋」であると結論付けます。
(追記2005年12月28日)(2)の内容自体が意味不明です。子ども達がそのような玩具で遊ぶことと、そのことによって同性愛者は差別して良いのだという意識が植え込まれることとの因果関係も全くもって不明です。いわゆるゲーム脳と同じで、子ども達がこのような玩具で遊ぶことと同性愛者を差別していいんだという認識に至ることに因果関係があると考えるのは幻想であると思います。確かに、同性愛者に関わらず人間に剣を突き刺して楽しむゲームが子ども達の間に広まるということには問題があると思います。ゲームの中の出来事ならまだしも、実際に人間を模した物体に手で剣を突き刺している光景はどう見ても不健康です。ただ、そのことをもって実際に人間に剣を突き刺していいだとか、模してある人間と同じような風体をした人間を差別していいんだというような発想に至ると考えるのはあまりに短絡的であると思います。

もう一点。抗議文に

現在、我が国には、「同性愛者は異常な存在だ」という社会的偏見のもと、 自己の存在を受け入れることができずに苦しんでいる同性愛者が多数存在します。また、同性愛の子どもたちの多くは周囲から「ホモ」「おかま」と揶 揄され、いじめの対象にされ、また、自らの性的指向に悲観して自殺を図る 子どもたちも多数おります。

 この社会には、残念ながらさまざまな差別、社会的偏見が存在しています。 今回、発売が予定されております玩具は、明確に「ゲイ」を打ち出しているものです。もし、樽の中に入れられる存在が、同性愛者ではなく、障害者や 在日コリアンだったとしたら、そしてその人たちが入っている樽に剣を突き 刺して「楽しむ」玩具があったとしたら、そのような玩具を貴社は発売なさるのでしょうか。

とありますが、今回の抗議の論点は「同性愛者に対する差別」という点にあるはずなのに、障害者や在日コリアンなど全く関係のない事柄をもちだしているのも非常に疑問を感じます。このような全く関係ない別の問題へとミスリードさせて論点をわざと拡大させていくのも詐欺師のよく用いる手法です。やはり僕はこの「セクシャルマイノリティ教職員ネットワーク」なる団体に対して信頼をくことはできず、次々と論点をずらす悪質な手法を用い、人権の名の下に一企業の経済活動を抑制しようとする「人権屋」であると判断せざるを得ません。